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 デジタル   2002年3月16日


こんにちは、昴の木のスタッフのいるたんです。
ロプタスに関して、いろいろ体験されたお話などをたくさんの方からお寄せいただき、たいへん嬉しく思っております。
皆様、ありがとうございます。
さて、ロプタスはいったいどういう働きをするのか全くもって未知のものです。パンフレットには、役割の一つに「デジタル波を調和のとれたアナログ波に変換する」とありますが、不調和なデジタル波というのはなんなのでしょうか?私自身お客様に聞かれてもよくわからなかったので、私なりに感じたことをお伝えしようと思います。
皆さんご存知の通り、「電脳」と呼ばれるコンピューターは人間の脳に似せて作られた機械です。人間の脳はアナログですが、コンピューターは、0と1の信号を組み合せて情報処理しています。例えば、果物の「りんご」を認識する時、人間は色や形、匂いや味、触った感じ、つまり五感を使いますが、コンピューターは五感がないので、0と1、イエスかノーのどちらかで判断していきます。食べられるか?イエス。食べられないか?ノー。野菜か?ノー。果物か?イエス。青いか?ノー。赤いか?イエス。などなど…というように、011010…と表してゆきます。この質問が多ければ多いほどより本来のりんごに近づいてゆきます。また、りんごの輪郭をコンピューターで描くとき、まず縦と横(xとy)の座標軸をつくり、例えばx=5,y=6、次にx=6,y=5というマス目を埋めます。要するに碁盤のマス目を塗りつぶしていく作業です。遠くから見ると斜めの線に見えますが、近くで見ると階段のように見えます。碁盤の目をどんどん細かくしていくと滑らかな曲線に見えます。ですがどんなに細かくても階段には変わりありません。(参考文献 ナツメ社 「デジタル」)りんご一つとっても、最大公約数的にそれを表現するのは膨大な情報量が必要となります。ましてや今目の前にある1個のりんごを表現するとどうでしょう。赤いけれど下の方はちょっと黄色くてグラデーションになっている。味は表面は酸っぱいけれど中にいくと蜜があって甘く口に含むと何ともいえない懐かしさが込み上げる…(!?)などなど。これをコンピューターで表現するのは至難の業ですね。微妙な感情にいたってはもうお手上げ?デジタルというものの捉え方は、目に見える情報を表すにはとても便利なものですよね。でも0と1の間にある無限の数字や、感情、感覚などは表現しきれません。デジタルはアナログである自然の仕組みを表現する手段の一部と捉えた方がよさそうです。

デジタル波を発振しているのはコンピューターの中枢IC(半導体)の部分です。今や、日常生活で使われる電化製品の殆どに使われており、いたるところでこのデジタル波を浴びているわけです。デジタル波は、先ほどにお伝えしたとおり、表現手段の一つと認識する分には、それ自体は不調和ではないと思うのです。ただ、ものをつくるときにそれを作ろうと決心したときの意識、実際に作っている方の意識、などなどできあがるまでにたずさわった方々の意識がそのものに大きく影響することはもうみなさんご存知であろうと思います。自然の仕組みを、目に見えることだけに求め、目に見える現象やデータのみを追い、表現しようとする意識が、ここまで分断化された情報処理=デジタル化を進めてきたように思えるのです。

目に見える現象も大切ですが、それだけが全てではありません。目に見えない、0と1の計り知れない「間」を知ることの方が、自然の仕組みを知る醍醐味のような気がします。現象と現象の間にある流れを知ることは、アナログである自然をアナログとして捉える、つまりありのままを捉えることにつながっていくことのように思います。自然界の現象はミクロからマクロまで大きさの違いこそあれ、相似形のものがあり、それは公式で表せるという「フラクタル理論」というものがありますが、それは私にとってとても納得のいくことでした。自然の仕組みは、はるか彼方の星々に思いを馳せても、自分という人間の内側に目を向けても知ることができる気がします。ただ自分という素材はある意味とっても身近なので、手っ取り早い気がしますが…。(横着ものでしょうか?)


ロプタスは私たちに、「感じること」の大切さを思い出させてくれるような気がします。今肉体をもって生きる私たちに、自然の一部である肉体をもっと感じて、楽しんで、と言っているように思えるのです。感じることを楽しめるようになったら、人と比べて一喜一憂したり、自分を正当化することに身を費やしたり、余計なエネルギーを必要としなくなるかも知れませんね。ま、それは個人の選択なのですが。実際、ロプタスと一緒に生活するようになって、「なんだか毎日楽しいな〜♪」と感じています。ちょっと前の私なら、「いやいや、こんなにバカっぽくてはいけない」とどこかで感じることを打ち消していたように思いますが、今ではすんなり受け入れられるようになりました。(ちゃんと仕事はしていますよ、ご心配なく)

まだまだ、自分にはネガティブな思考癖があります。「あらあら、まだあるわ」と思わせてくれるような出来事が毎日ありますが、それが以前よりわかり易くなったというか、軽く受け入れられるようになったという気がします。本当に感じることって人それぞれですよね。


ひとつの答えなんかありません。

皆さんはいかがでしょうか?



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