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〜ある教師からの質問〜
2001年9月23日 日木流奈ファミリー交流会in札幌 より抜粋


Q。 流奈くんの本なんか読みますと、今の話にもあったんですけど、子供は評価されるのがキライで、誰でもキライなんですけども、その、テストなんかしないであげてくれっていう、とてもほんとに素晴らしいと思うんです。全くその通りだと今の話でも思いましたし、本でも思うんです。僕は、職業が教師なんです。で、あの、全くその通りだと思うんですけども、今の僕の置かれている立場で僕としては成績をつけないということが正直言って僕にはできないんです。・・・中略・・・何かそのことで、流奈くん何かあれば、お願いします。

〈流奈くん〉 学校の制度は、これからどんどん変わってくれるといいですね。そのために、不登校する人や、いじめなどの問題が起きてるわけですから、それをやってくれる人に感謝です。まずネ。

次に、学校制度は悪いわけではないと私は感じています。段階だと思っているのです。学校の教育が受けられなかった人たちが、ほとんど受けられるようになりました。これは、とてもいいことだと思いませんか?ですから、次に進めばいいだけなのですが、人は、できてしまったものを、なかなか変えたくないんです。本当は、どんどん変化していかなければならないのに、みな、事が起きないと考えないんですね。本当は、起きる前に考えなければならない問題なんですが、仕方ありません。徐々にそうなっていくと思います。

まず、テストについてですが、すでにある制度で先生一人でやめたいと言ってもやめられませんし、やめても次の手が無いのですすめることができないですよね。私は本当はテストはこれが出るぞと教えてしまえばいいと思っています。(会場笑)そうすれば、覚えてほしいことを覚えてくれるでしょ?みんな100点です。(会場笑)でも、それも無理なら、みんなにこう伝えておきます。これは、やむを得ない制度だからやってるけど、これは、あなた達の人間の評価ではないことをきちんと伝えなければなりません。そこに価値を見い出してはいけないことも、伝えられると思います。現実的に、そのことを伝えないと傲慢な心が育ち、劣等感が育ちます。ですが、これは価値が無いこととしてはいけません。価値が無いことを何故自分たちがしてるのか、と思ってやらなくなるからです。学ぶことが悪いわけではありません。純粋な学問の喜びを知るためには、おべっかを使って子供たちにやってもらってもいけません。必ず、その子がやりたくなるようにすすめていくことが大切だと私は思っていますが、とても大変ですね。たくさん生徒さんがいると。でも、今ある範囲でやれることをなんとか考えていくことが大事だと思います。私なら、さっき言ったことが無理でも、テストのあと、もう一回、同じ問題を教科書を見ながらでもいいから、やって覚えることをします。覚えることが問題、重要で、評価することが重要ではないと思うんです。すべての子が覚えることが可能なのに、なんとか覚えさせないようにしようとしているように私には見えるんです。テストって。

1つのことを本当は子供の時から深くやった方が、基礎的なことは早く学べるんです。私は、1000の事実を知らされて10覚えるだけでもいいと思っています。何故かといえば、ことが専門的であればある程、学問というのはとても楽しいんです。1+1より因数分解やってたほうが、楽しいんです。複雑であればある程、楽しいんです。漢字も、複雑であればある程楽しいんです。ですが、幼いほど、時間は短くしなければなりません。飽きるということは、すぐに学んでしまうということなのです。私の学習時間は30秒の世界でした。初め。そのくらい、短かったのです。そして、運動をするのです。酸素が入ると、脳が活性化します。苦しくなるんで、長くいられません。私のような脳障害の子は。でも、健常な子でも一緒なんです。ボーっと何十分も座っているということは飽きるということです。できれば、授業の時間をとても短いセッションにして、合間に走ったりするといいんですが、無理ですよね。きっと。だから、身体を伸ばすとか、何かメリハリがつくといいですが。

どこまでを学校は許してくれるのでしょうか?どこまで、やる気があるのでしょうか?それによって違うと思うのです。ただ、言える事は、子どもを裁くのではなく、また、憶測で、おまえがやったのだろうと、悪い者をさらし者にするのでもなく、きちんと尋ねられる環境をつくることが大事だと思います。そしたら、子ども達は、本当のことを言います。批判されない安全な場であれば、本当のことを言い、また、自ら何をしたかを知ることになります。例えば、誰かに迷惑をかけた子がいたなら、それをやるには、きちんと理由があったことを踏まえて聞いてください。



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