セアロサポートクラブ設立に関して 2002年1月29日
セアロ(陽月院和尚)は、「(私たちの)準備ができれば、また来るからな。」とおっしゃられ、札幌を後にされました。時折頂く、メールやホームページの様子から、今後、これまでにない多忙さを極め、その活動範囲は、全地球的なグローバルなものになっていくであろうことは十分に予測できるものでした。最新のホームページのスケジュールから国連関連の動きがあることも、その流れを知るものからすれば当然のことなのかも知れません。
今彼を待っておられる方は、世界中にあまたいらっしゃることでしょう。
セアロを必要とされる方達と会い、彼が表現される彼自身の存在そのものが伝わることで、その役割は、自然と拡大されつづけることでしょう。そのほんのわずかなお手伝いでもさせて頂ければという思いで、近々正式に、ガユーナ・セアロ北海道サポートクラブのようなものを立ち上げる予定でいます。事務局の窓口は、昴の木がさせて頂く予定ですが、事務局の代表は、今回セアロをお呼びし、お世話された、旭川の樋口賢一(ひぐちけんいち)さんが務めることになっています。具体的なことはまだ決まっていませんが、昴の木では常時、セアロの支援金を募らせて頂いております。その支援金は、セアロを北海道にお呼びするときの交通費にあてさせて頂いたり、セアロの活動基金などに充てさせて頂きます。
一人の男がわけもわからず、ミャンマーなどという国に行き、そこで会った一人のセアロ(大僧正)から、「よく来ましたね。待っていました。」と言われ、頭では何が起きているのかさっぱりわからないまま、”袈裟(けさ)”を着せられ、その運命としか呼ぶことができない流れに、身を委ねきり、その袈裟を脱ぐことができずに、今に至っている。
セアロの言葉に次のような言葉があります。
人は、普通に生きているときは、死というものを忘れる。
しかし、いったん身体が傷つくと、すぐに死に結び付けて苦しむ。
そして、生きたいと願う。
そして何も無く生きている時、人は何もしない。
明日の不満や欲望でいっぱいになり、生きていることを実感しないし、楽しんでいない。
幸福となるための秘訣は、好きな事をして生きるのではなく、
すべき事を好きになって生きることである。
セアロは、一人一人との面談を楽しまれていました。
「楽しいからやっているんだ。」と、そのたった一人一人との面談を楽しまれた結果、国連で楽しんでスピーチをする事につながっていったのです。目の前のどんな些細な事も、大勢の人前で話されることも、セアロにとっては同じ比重です。今している事を愛されているだけなのでしょう。
悟る前、その人は木を切り、水を汲んでいた。
悟った後、その人は木を切り、水を汲んでいた。
その人の目に映しだされた木や水、空、土、緑。
どんな風に移り変わっていったのでしょうか。