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新年明けましておめでとうございます  2002年1月15日


しばらくひとりごちが生まれて来そうで、来ないようでという状態でしたのでそのままにさせていただきました。

昨年中は大きなイベントとしましては、ルナ君の交流会をはじめ、公にはしませんでしたが、「生きがいの創造」の飯田史彦さんの講演会などをさせていただきました。飯田さんの場合、国立大の助教授で国家公務員ということと人気が全国区ということもありましたのでご縁のある方のみにお知らせさせて頂くという限定したものとなり、後に多くの方が残念がられ、申し訳ないことをしたと思っております。


また11月にはミャンマー名、ガユーナ・セアロ、日本名、陽月院和尚というミャンマーの上座部仏教の大僧正が、昴の木の2階に5日間ご滞在され、5日間で150名の方が個人面談を受けられ、2ヶ月たった今も素晴らしい反響が続いております。セアロの事は、そのホームページに詳しく載っておりますでご覧になってください。昴の木もリンクさせて頂いております。

もう2年以上前になるでしょうか。来月(2月7日〜2月22日)昴の木で個展をさせて頂き、これまでも何かとご連絡を取り合わせて頂いていた北海道出身のアーティスト、はせくらみゆきさんからセアロのことを紹介されました。その時は何気に伺っていたに過ぎなかったのですが、昨年初め、多くの方から急にセアロのことを聞かされることになりました。3月のある日、同じ日にセアロのことを電話で耳にすることになり、最終的にワールドハーモニーテラの寺岡さんから、「今、岡山にいるからおいでなさいよ。」ということになり、流れという他はない現象が続いたなかで、岡山にたちました。初めてお会いするセアロは独特の澄み切った笑顔をたたえられ、迎えて下さいました。愛とは「やさしさ」と「厳しさ」です。ということを以前、足立育朗さんから伺ったことがありますが、セアロは正にその内面にやさしさと厳しさをあざなえながら、りんとした姿勢でいきていらっしゃる、そう、楽しみながら…。

豪放磊落に笑う笑い声、煙草を吸いながら話す姿、一日コーヒーを15杯は飲む姿、これまで抱いていた”お坊さん”、”聖者”といわれる方のイメージはこともなげに崩してくださいます。そのことは、とりもなおさず私たちが「聖者とは…」「父とは…」「母とは…」というイメージを強く抱き、それを期待に変え、こうあってほしいという、全体ではなく部分に意識をフォーカスして、生きていることを崩してくれているのかもしれません。

岡山では約1時間にわたる面談で、私に必要な瞑想法や、呼吸法、なども伝えていただきながら、私自身について多くのことを言及してくださいました。
「今度札幌に来てくださいますか?」とお伝えしたところ、「お前の準備ができてからじゃ!」とおっしゃられ、8ヶ月の時を待ち、来道してくださいました。

私がセアロに強く惹かれ、共感するところは、
「人間は肉を持ったままでどこまでも行けるんだよ。イエスさまやお釈迦さまにサポートされているうちはまだまだで、彼らをサポートし、抱きしめてあげられるようにならなくては…。」
という思いが彼からにじみ出ているところです。
決して、自らの成長をあきらめることも、止めることもなく、歩み続けられる姿に、よろこびが沸き立ってくるのです。ボディ(肉)をもったまま、どこまでも透明になっていける、透明になっていけばいく程、セアロの話す言葉ではなく、その向こう側に自然のしくみそのものが伝わるようになる。そのことを、セアロ自身の在りようをとおして、自然にお伝えしてくださっているように感じられます。

セアロにお会いした瞬間から涙が止まらなくなった方々もたくさんいらっしゃいました。「どうしてだかわからないけど、涙がでちゃうのよ。」皆さんそう言われていました。煙草を吸い(ちなみに銘柄はラーク)、コーヒーを飲み、腹から笑う姿、その向こう側に、今回札幌でセアロに面談された150名の方は何を見、感じられたのでしょうか。


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