昴の木 20周年に添えて……           

今の世界を鑑み、見渡してみますと、人間界においては、自分だけが、自分達だけがという、自分ファーストの自我の意識に美化の風さえ吹いており、その意識は増幅の一途をたどり、それは、都合を優先したしがらみにがんじがらめとなり、その場凌ぎの場当たり的な言い訳に終始せざるを得ず、そんな意識から派生したであろう犯罪の無差別化、動機の見えない例のない凶悪事件の多発、そういう人間の意識を映しています自然界においては、経験のない雨の降り方、想定できない大洪水の数多、世界各地で見られる大地震、山火事、砂漠化、火山の爆発の凄絶、日本では少し前には想像もできなかった竜巻の頻発、混乱の闇の底は一条の光さえ届くことはなく、カオスそのものの世界に僕たちは、離人症の如く感情を麻痺させたまま、ただ立ち尽くすしかないかのように観じられます。

 

いつ何が起こっても不思議ではない時代…

 

そんな時代への晴れがたき諦念の霧が立ちこめる視界の中、株式会社昴の木は20年目を迎えることとなりました。

 

この20年、この惑星(ほし)にこの環境に全く何を成すことのできないまま無力であり、時が経つのをただ観送ることしかできなかった、というのが偽らざる実感です。

 

そんなただ無力感を抱き続けた昴の木も年輪だけは、確実に刻まれてきたようで、いつ立ち枯れても不思議のない深い霧の中、こんなたった一本の木が、ぎりぎりで踏みとどまれ続けてこられたのは、これまで関わってくださいました役員の方々、スタッフの方たち、取引先の皆さま、そして陰となり日向となり支えてくださいました、お客さまお一人お一人、全ての皆さまが支えてくださったお蔭なのです。

 

僕自身の実践を伴わない『感謝します』と言う想いを乗せた浅き言葉などでは、昴の木の本質が、ただ哀しむだけなのかもしれません。

 

これ程も無力でむしろ、地球にも宇宙にも、総ての存在さんたちに迷惑しかかけてこなかった昴の木だったのでしょう。


残念です。

何のお役にも立てなかったその申し訳なさは、お詫びと言う姿勢では済まされないのかもしれませんが、それでもこの20年、一つ一つの年輪を皆さまと共に刻ませて頂けたこと、そして、そのお詫びしか浮かんではこない狭小な意識ですが、それでもやはり、忍耐強く、我々の学びの深まりを待ち続けてくれています、かけがえのない時空にも、心からの感謝しかありません。

 

20年もの間、こんなことを仕事とさせて頂き、その自覚の無さ、いたらなさ故に、無意識なまま傷つけてしまい、迷惑をおかけしてしまった全ての皆さま、この文章に縁あって目を通してくださいました方、そうでない方、全ての存在さんに、ほんとうに申し訳ありませんでした。

そして、この二十年ありがとうございました。

 

これからの余命が昴の木にどれ程在るのかは、知る由もありませんが、これからの残された時間は一日一日、一瞬一瞬を更に注意深く意識して、でき得ることは全てさせて頂き、毎夜“最期の晩餐”という思いで愉しくも本質が観じたことを素直に体現できますよう実践していければと願っております。

 

昴の木 瀧本太造

 

 





                                 


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